インタビュー#13

稲核「風穴でブランド化 天然の冷蔵庫“風穴”の可能性」

~風穴を次の世代につなげていくために~

稲核は、松本方面からアルプス山岳郷エリアへ向かう途中にある山あいの集落。大正~明治期にかけて養蚕業で栄えた歴史がある稲核は、かつては全国の養蚕家から一目置かれる存在でした。その歴史を支えたのが「稲核風穴(いねこきふうけつ)」。その後、時代の変化の中で風穴の役割も変わっていきます。現在は、使用されずに廃墟となっている風穴が多い一方で、一部の風穴は現役で使われています。また、道の駅風穴の里にある風穴では、地域内外の様々な食品を一時的に預かって熟成保存に利用されるケースも増え、話題になり始めているそうです。そこで今回は、大阪の焼菓子店が長期熟成を経たシュトーレンの蔵出しをする様子を見学しながら、稲核風穴保存会の川上一治さんにお話を聞いてきました。


△稲核風穴保存会副会長で稲核生産者組合長でもある川上一治さん


稲核風穴とは 

風穴とは、年間を通じて8度前後を保つ天然の冷蔵庫。石積み内外の温度差や気圧差によって風の流れが生じ、入り口部分を通じて大気が循環している穴のことです。元は、石が積み重なった山の斜面にあるすき間から自然の冷風が噴き出すのを発見した昔の人が、石を積んで壁をつくり、扉と屋根をつけて冷気を閉じ込める空間を造ったのが風穴利用のはじまりだそうです。

△稲核地区にある諏訪社風穴群(写真:風穴保存会HPより)


稲核では、今から300年以上も前から風穴が存在していました。数軒の家が共同で食料の保存庫として冷蔵庫がわりに利用していたようです。例えば、信州の伝統野菜にも認定されている稲核菜は、風穴貯蔵の代表的な食品で、昔から地区内の各家庭で漬けられてきました。稲核菜の漬物には独特の旨味があると評判ですが、その旨味は風穴内での低温熟成貯蔵によって引き出されているのです。

△風穴で貯蔵され漬けられた稲核菜。かつて、松本藩主へ献上されたという記録も残っています。(写真:風穴保存会HPより)


このように、元は家庭用として使われていた稲核風穴は、文久年間(1861~1864年)に蚕種の冷蔵に応用を始めたそうです。

△前田家の風穴本元 ※現在見学はできません (写真:風穴保存会HPより)


一治さん 「それまでは繭の生産は年に1回だったのですが、前田家が風穴を利用して蚕種の冷蔵保存を工夫したことで、年に3~5回の生産が可能になったのです。この発見は養蚕業界に大きなインパクトを与えました。これを機に稲核風穴は全国に知れ渡り、各地の養蚕家は前田家の方式を参考にするなどして、養蚕業の発展に貢献したのです。世界遺産の富岡製糸場が大きな発展を遂げたのも、この前田風穴の蚕種貯蔵の技術を下仁田に持ち込み、荒船風穴を造ったからだと言われています。」


それだけ歴史的価値のある稲核風穴は、養蚕業界や一部の研究者の中では名が知られているものの、一般的な知名度は低いのが現状だそう。

△稲核上空 梓川下流方向から上流(南西方向)を望む。中央奥に見えるのは御嶽山

(写真:風穴保存会HPより)


風穴保存会を立ち上げ、調査進める

そんな中、稲核風穴を歴史産業遺産として、また稲核固有の文化として残していくために地元中心に活動されているのが、一治さんが副会長を務める稲核風穴保存会(会長:有馬正敏さん)です。保存会では、稲核風穴の調査研究を行い、利活用を図りながら継続的な保存活動を行っています。

◇稲核風穴保存会のウェブサイト

https://www.hozon.fu-ketsu.com/index.html


一治さん 「稲核風穴の調査だけでなく、最近は沢渡や大野川、島々の集落にも風穴があることが分かり、調査をしました。また上高地にある風穴についても、駒澤大学の清水先生と一緒に調査を続けています。」

△上高地での調査風景(写真:風穴保存会HPより)


風穴保存会では、稲核地区のみならず、周辺地域の風穴調査にも出かけ、現存する風穴の実態を明らかにしようと精力的に活動しています。風穴跡を発掘して記録に残したり、継続的に温度や湿度を計測したり、山の斜面にある温風穴(風穴内で循環した温風が吹き出す吹き出し口)の探索に出かけたり。その調査の様子を話して下さる一治さんは、なんだか楽しそうなのでした。


一治さん 「調査するのが面白くて夢中になってやっていまして。この地域に現存する風穴については、もう大体把握できてきたのではないかと思っています。」

こんな風に風穴調査を楽しみながら進めている風穴保存会の皆さんは、「稲核風穴の価値をもっと広く知ってほしい」という思いの元、現在も利用可能な風穴を有効に活用しようという取組みも進めています。それが、食品を風穴貯蔵することによってブランド価値を上げる取組みです。


風穴貯蔵の可能性

現在、道の駅 風穴の里の敷地内にある風穴で預かり貯蔵している食品は、稲核菜・味噌・地酒・蕎麦・生ハムなど様々です。

△食品が貯蔵された風穴内の様子


今年の地酒は9月に蔵出ししたばかり。亀田屋酒造笹井酒造大信州酒造の3社がそれぞれ自慢のお酒を持ち寄り、神事をもって春先に蔵入れし、9月中旬に蔵出し後「風穴貯蔵酒」として販売しています。約半年間、じっくりと天然の冷蔵庫で熟成された日本酒は味わいが繊細でまろやかな仕上がりと評判。また「風穴貯蔵」というプレミア価値や話題性が付加され、人気なのだそう。 

△2019の日本酒の蔵出しの際の様子(写真:風穴保存会HPより)


取材に訪れたこの日は、春先から約半年の間、風穴貯蔵した焼菓子のシュトーレンの蔵出し日。大阪の菓子工房(株)ミルフィーユの野村社長が社員の方を連れて風穴を訪れ、次々と風穴内のシュトーレンを蔵出ししていきました。

△シュトーレン蔵出しの様子


野村社長は上高地好きで、約20年前からこの地域によく通われていたそうです。知人から風穴のことを聞き、一治さんと繋がって、昨年から自社で生産するシュトーレンの風穴貯蔵を始めたのだとか。

野村社長「風穴で貯蔵したシュトーレンは、通常のものと比べて味わいがまるで違う。10℃以下を保つ風穴内の低温でじっくりと熟成することで、フルーツの旨味やエキスが生地に染み渡り、しっとりと美味しくなります。昨年から風穴貯蔵のシュトーレンの販売を始めたのですが、お客様からの反応もとても良いです。」

ミルフィーユのシュトーレンは、クリスマスシーズンに向けて11月に予約販売するそうです。

◇ミルフィーユのウェブサイト

https://www.mille-feuille.com/

一治さん「こうして風穴を活用してもらえるのは、とても嬉しいこと。わざわざ大阪から利用に訪れてくれることもありがたいです。せっかくできたご縁ですので、お力を借りて今後風穴オリジナル商品を生み出せたらという希望もあります。」

△蔵出しが終わり、来年についてもシュトーレンの風穴貯蔵の約束をされた野村社長(写真右)と一治さん


一治さん「風穴内はまだまだスペースに余裕がありますし、今後も色々な方に風穴を活用していただきつつ、様々な商品が生まれていくといいですね。そうすることで、風穴への注目が集まり、稲核風穴を広く知ってもらうきっかけになりますし、有効に活用し続けることで、次に繋げていくことができます。」

今後、様々な食品への活用が期待される稲核風穴では、貯蔵する食品を広く受け付けているとのこと。一般の方向けには、見学用の風穴が整備されており、中を見学できるようにもなっています。

△風穴の里 敷地内にある見学用風穴


自然エネルギーの活用が注目される昨今ですが、300年以上も前から活用されてきた自然エネルギーの一つと言える稲核風穴は、固有の存在感を放っています。時代と共に用途や規模は変化しながらも、天然の冷蔵庫として現在も活用され続けている。その歴史の足跡をたどると、山あいの急峻な地形に挟まれた限られた土地に集落が存在し、様々な制約のある生活環境の中で、今日を生き、明日へつなげるための先人たちの工夫の跡が見えてきます。それだけでなく、丹精込めてつくったものを出来得る限り長く美味しく食したいという人間の純粋な願いや、旨いものへの探求が、時代を問わず存在し続けていることも見逃せません。何より、風穴に蔵入れして「預ける」その行為は、人の力を超えた自然の力に託し、良きように醸されることを信頼しているかのよう。それはどこか「祈り」にも似ています。

更に、稲核の人たちは、この風穴の知恵を地域内の活用に留め独占するのではなく、かつての蚕種保存技術や現在の風穴貯蔵に見られるように、地域外へと良心的に開き続けているのも特筆すべきこと。その気前のいいシェア精神はどこから来ているのだろうと不思議に思うのですが、一治さんはじめ稲核の方々にとっては当たり前のことのよう。利益よりも、風穴のもつ力を広く知ってもらい、共に味わうこと・そこから広がっていく風穴の可能性に重きを置いているようなのです。そんな方々が大事にする稲核風穴では、これからも食品のブランド価値だけでなく、人の繋がりや地域間の繋がりもまた、良きように醸されていくような気がしてきます。今後の風穴をめぐる動きから、ますます目が離せません。


聞き手・文:楓 紋子

アルプス山岳郷

槍穂高・上高地・乗鞍高原・白骨温泉・さわんど温泉・奈川

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